240228

1月2月にみたアニメの感想を忘れないうちに何個か

 

・「THE IDOLM@STER

U149、ミリアニときてついに見ました 最高すぎる

全25話を通しで見たときの流れが自然で、作り物感がないというか、人生をみてる~~~感がすごい

8話がいちばん好きかも 三浦あずささんが迷子になる回  行動が巡り巡って幸せにつながっていく物語が好きかも 多幸感にあふれてる エージェント夜を往く」も流れるし、8話最高だな 「エージェント夜を往く」の2番サビの歌詞が特に好き

「もっと染めてよ激しく世界の色まで 誰もまねのできないアーキテクトの思うがままに」ってところ

(ほんとにね 人の世界の色をも変えるような体験、見つけ出したいし 受け取るだけの器が欲しい あらゆるラヴで世界の色が変わっちゃうような体験を想像するだけで、人生のことを好きになれる気がします 恋愛に限らずね、ときめく瞬間はほんとに、どこにでもあるはずだし、可能性を捨ててくれるな)

劇中の「信じてるもん!」とか、「頑張ろう!」とかのセリフたちが、全部なんとなく説得力を感じるタイミングなり話し方を以って現れているような気がして、端々にまで血が通ったアニメだなと思った 繊細かつ力がある

後半のテーマってかなり哲学的で、23話「私」とか24話「夢」とか タイトルからしてかっこよすぎるが、内容はもっとかっこいい 天海春香はなんのためにアイドルになったのか、人気アイドルになったとき何を目的にアイドルを続けるのか…

天海春香が周囲の人たちを明るく元気づけていくことから物語は始まり、その力はアイドルとしての天海春香にも適用される 天海春香からエールを受け取った人は、ありがとうと言って天海春香を応援する そのことが天海春香をアイドルとして舞台に送り出している 応援の交換はずっと続くし、天海春香はずっとアイドルとして立ち続けるのだろうなと思った 

24話の、窓の結露がおちていって、筋が二手に分かれてくカットめちゃめちゃ好き 鳥肌立つ キャラの演技以外で説得力持たせるカット大好き!!!

あと、24→25話の次回予告聞くたびに最高の気持ちになる 確実な最高の盛り上がりを感じる次回予告だ

 

星井美希が語尾に「なの~」ってつけるのかわいいな 現実でまねしよっかな♪

星井美希のファンから刺されますよ 本当に?本当に

この衣装何だったんだろう

 

咲-saki-」みた

麻雀って楽しいよね!

深夜アニメの類をかなり避けてきた人生だったんですが、咲の色気シーンはなぜか不快感が少なくて、ギリ見れます いや、全然胸は揺れるし太もものアップもあるんだけど、エッチさではなくかわいさに作用してキャラが魅力的に見えてる感じ キャラの肉体の生々しさが現れるほど、麻雀というゲームの無機質さが際立って、麻雀シーンが緊張感ある空気になっている

主人公の宮永咲は、麻雀で嶺上開花しまくって勝つキャラなんだけど、存在が面白すぎる 嶺上開花ってめったに発生するものじゃない 「カン」のツモ牌であがるってなかなかないことすぎる 確率を調べたところ0.3%で発生するらしい 狙って出す役ではないな

「カン」ってかっこいい 「ポン」とか「チー」より「カン」の宣言の方が、音の響きがかっこいい 他家が牌捨てたら「カンッ!」って発声がなされて捨て牌であがるの、あまりに攻撃的だし 行為としてかっこいい

カン3連続ってほんとに何だったんだろうあれ すごい話だ

咲さん、めちゃめちゃ強いのに、のほほ~ん♪としたキャラで良い いつもぼーっとしてるし、すぐ道に迷うし、雀卓座ってもわなわなしてるのに、スイッチはいるとカンしまくる かっこいいなぁ

キャラがどんどん増えていっても、一人一人が個性的だったり出し方がうまかったりですごく見やすい 麻雀の試合とキャラのバックボーンを並行してやってるのに、どっちもを面白く見せてる いろんな学校対抗で麻雀大会するから結構な人数出てくるけど、みんな印象に残ってるな

麻雀シーンでの動きがかっこいいから、アニメになることの意味があるなとおもいました

阿知賀編 episode of side-Aをこれから見る キービジュにいたハーフツインテの子が気になります

色味がかわいすぎる

 

・「映画ふたりはプリキュアMax heart2 雪空のともだち」

ひなたぼっこ日和ね…

妖精のポルンがめちゃめちゃかわいいです

左のデカい子がポルン

「ともだち」ってなに?みたいな話がずっとされて、心でつながってるの!/私たちは友だちでしょう…?/ともだちポポ! といった温かい話が続く 一方で視聴してる私は愛を知らないゴーレムに近いので「世界ってこんなこともあるんだ…あたたかい…」と溶けそうになってる 離れても互いへのラヴを信じれる関係、かなり理想だな この世の友情が、欠けることなく存在してほしい… 強固な信頼関係、良い

雪山とか、氷、鳳凰、友情のモチーフたちが余すことなく作用したあらすじで、観やすい印象だった

例の戦闘シーンが衝撃的だから話題に上がりがちな印象あるけど、本編を通しで見るとそんなに目立っていないというか、自然な流れだっただと思う 和解のために必要だった びっくりはするけど

エンディング曲の温度感がちょうど良すぎる しっとりしすぎず、盛り上がりすぎない、余韻に浸れるノリノリ曲 かわいい曲だなこれ

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そんな感じ かわいい女の子が頑張るアニメが好きです

最近アニメ見るぞ~って気分なのでいろいろ見たいんですが、際どいシーンの類がマジで好きじゃないことに気付いて、選択の幅が狭まってる ちょびっツ」とか、漫画版は好きなんですが、アニメだと見にくいな...となってる 1話見て手が止まってる 「かんなぎ」も観てたけどたまに厳しい瞬間があり、見切れていない

胸が揺れるとか、もの拾うときにパンチラしそうとか、そういう、些細なあれでも嫌で、普通に可哀想が勝ってイラつくというか、疲れる… 世間的には需要があるのかもしれないし、それは全く否定しないんだけど、私の中に需要がないから困る これは本当に…ただ単に相性が悪かっただけの話で、見なきゃ済むといえばそうなんだけど…気合い入れないと見れないな

かわいい女の子キャラの生活やら奮闘の物語を体感するのを目的にアニメをみていて、それはおおむね達成されるからアニメはどんどん見たいんだけど、ちょっと手こずってる感じだ 生きづらい

女児アニメだとそういうシーンの率が少ないから、どうしても女児アニメを観がちですね どうしたものか

みそかが苦手だ

 

新しい年になることって、前の年を捨てることとほぼ同義だと思っていて、かなり寂しくなる

西暦として「現在」を表す数字って一つしかなくて、今は2023  過ぎた年、たとえば2022、2021はすっかり過去の数字になっている  数日もたてば2024になってく... 失われる2023を思うと気が滅入る

今まであったものから、新しいものへと目が向けられること自体は自然なことだし、新しいものは歓迎するべきだと思うけども 失われるものに目を向けないと、本当に失われてしまう気がする

 

よく、「死は2段階あって、肉体の死のあとに、人から忘れられた時が本当の死」みたいな言説があるけど 別に死ななくたって忘れられることはあると思う しょうがないことだけど、もう会うことのない人とかは私のことを忘れるし、知らず知らずのうちに私を殺してるだろう

私自身が生きてても死ぬことはある それが怖い 今もどこかで私は誰かに殺されてるんだろうなと思ってダバダバ泣く日もたまにある

一方で私も誰かを忘れるし、誰かを殺してる 誰を忘れてるかわからないが、忘れてることはわかる 忘れるのが怖くて、いろんなことを覚えていたくて、忘れられてくものを同情の気持ちで見ている

今まであったものが過去のものになるのが悲しいし、いつか忘れられていくのが怖い

 

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』でも似た話があるけれど

いわゆる「新しい自分」へ変わるとき、過去の自分を手にかけているんじゃないか 古い自分を捨てて「現在」に辿りついている その道中、古い自分は死体すらなく失われる 変化の過程で失われる自分があるってすごい話 「大場なな」にとっての「純那ちゃん」は変わっていき、「知ってる純那ちゃん」ではなくなる どうしたって「今」は「過去」になってゆくし、「過去」の全てが残るわけじゃない だから、「大場なな」が過去の出来事を永遠のものにしようとしたのは共感できる話だと思っている

過去の「大場なな」にとっても今の「大場なな」にとっても最高だったと思える出来事(第99回聖翔祭)があって、彼女にとって大事な思い出だった その思い出について、みんなが「あの時よりも良いものを作ろう」と意気込んでいて、過去を否定される気分になる 過去のものを燃料にして進んでいって、文字どうり燃やされて無くなってしまうような気がする 自分にとって最高だった思い出をみんなが忘れてしまうのが寂しい

「大場なな」が成長してないとかそういう訳ではなく、新しいものを模索する道中で過去のものを過去として扱い、いろいろを失うのが怖いのだろうなと思う  個人的には、当時の感情とか盛り上がりだとか、感覚的な情動を忘れるのが怖い

 

失われる側の人間になりたくない、忘れられたくない 死んで過去になるのが嫌 

機械が電源ついてるときは光るみたいに、私が生きてることを示してくれるのは肉体だけだから、肉体が滅ぶこと、かなり恐ろしい VRチャットみたいな、生身の肉体を離れた自己の認識はかなり抵抗感がある

でもいつか幕を閉じるわけで 生きるのが嫌でも楽しくても終わりが確実にあるらしい みんな平等に不幸という点では良いことかもしれない 平等な幸はないから 不幸が分配された方が平等ということは往々にしてある 悔しい 抗いたい 天邪鬼だから

 

去年くらいまでは、死ぬことへの恐れが全くなくて むしろ、という感じだったんですが、最近は本当に怖い なんだろう 涙腺がゆるくなってあらゆるコンテンツでぼろ泣きする度、この感情を享受する器(私)が無くなるの嫌すぎるなあと思っています

これも変化だな、過去の自分とは少し違くなっている 今の自分だっていつ変わるかわからない いろんなタイミングの自分に戻りたいし、その遺体に触れたいと思う

 

誰かに食されて血肉になりたい 誰かの糧になれるように生きて、腹の底に居座り続けたい 私が死んでも誰かの意思の1ピースにでもなって、形を変えてでも生きてた証拠を残したい 誰かに意思の連鎖を起こして、自分がいたことで誰かの人生を少し面白くできたら、最高だなぁ 

良いものそれ自体を継ぐというよりかは、感じたきらめきを他の人にも伝えたいという気持ちがあります 最高だなと思った感情の機微を他者にも存在させたい 他者の人生に前向きなバタフライエフェクトを起こしたい 

他者に影響を与えられる人間というと、ジェット機みたいにビュンビュンと物事を進められたり、一度会うだけで忘れられなくなるくらい人間性が魅力的、な人間が何人か思い浮かぶ そういう生命力にあふれた人が眩しい 近付いたらイカロスみたいに羽を焼かれそう 太陽みたいな人間がいることが悔しい 俺は弱い そういう人と比べると私が人生でできることは少なそうで、私にできることは他の人にもできることばかりなのかもしれない 嫌だな 弱気になりたくない 私も何か遺したい 「思考・感情の連鎖をさせたい」はかなり核になってる想いで、考えすぎれば暗くもなるし弱気にもなる

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(あんさんぶるスターズ!! メインストーリー第2部 第八章「SS」第五話の姫宮桃李)

 

人生を頑張りたい気持ちとちょっと辛いなって気持ちの2つがあります

いつか終わるのならせめて良いものであってほしい、楽しいと思えて、大事にできるものを見つけたいし、残したい

(あんさんぶるスターズ! スカウトイベント「スカウト!ギャング」第5話の七種茨)

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↑(フォロワ~の最近の好きなツイート 盗んでごめん)

呪いっていい意味でも悪い意味でもあって、相手にとって無意識にまとわりつくものみたいな意味だと解釈した どうにか誰かの記憶に残り続けて、呪いをかけたい 正確に思い出されなくても、なにかしら影響を与えられたらきっと、意思は継がれてるし、私は生きてると思う

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www.youtube.com

Perfumeの「未来のミュージアム

『映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』の主題歌 最近聞いてすごくよかった

映画の内容を踏まえて、言葉どうりの意味を拾うと、劇中で未来にタイムスリップしたのび太が、未来のものが飾られているミュージアムを冒険し、その冒険を盛り立てている歌なんだけど

歌詞を自分の方に手繰り寄せながら聞くと、ミュージアム(過去のものを保存する場所)がつないだ歴史の先に「現在」や「未来」があるということを歌ってくれてる気がして、すごく嬉しかった 過去と未来がひとつながりになって、切れないようになってるような気がして 過去は過去のものだけど、過去の意思が紐みたいに伸びた先に「現在」があるのかもと思えた 「現在」はどんどん「過去」になるけど紐はつながってて全くの別物じゃないのかもしれない それだとあたたかいなぁ

中田ヤスタカ ありがとう

231212

近況 詰めあわせ 

生活リズムが急に整い始めました。これはすごいこと

こないだまでは、日の出とともに寝て、暗くなるころに起きるような吸血鬼的睡眠生活が一か月くらい続いちゃってて 割と困ってたんですが、急に改善し、今では日の出ともに起きれるようになりました。

寝る前に寝ながらYouTube・ニコニコ観るのをやめて、観るときは居住まい正して観る!ようにしたら寝れるようになった これでよかったんだろうか 夜寝れるようになったので普通に良いかも

(追伸 良い生活リズム、2日しか持たなかった 無念)

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こないだまで、音MADを初めて1か月でつくってみよう の企画に居て、コツコツ作ってました。先人の助けもあり、無事完成できた、完走できてよかった、ほまーに しょうみ、作ってるときの記憶はほぼ無くて、気づいたら完成してた、って感触ですね 語ることがない…時間がひたすら経って、手元に完成品だけが残る、ことがままある

絵描くときもそうなんですが、制作時にめっちゃ考えながら作っても、振り返ったときに特筆することがない 計画したことをこなすのみ...になってしまうので、楽しさと辛さが半々

動画作るの楽しかったな、映像として形に残るのって面白い 自分が作ったものがどれとかは言わないですが、ニコニコ動画に自分作ったやつが並ぶのはやっぱり嬉しかった… 近い人間には普通にバレていそうだけど、なんかやってるなくらいの距離で温かく見ていてもらえるとやりやすいなと思います

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好きなものやリファレンスを整理する運動をしました。スクラップブックを作ったり、discordに自分しかいないサーバーを2つ作ったり。

流れでニコニコのマイリストを整理したんですが

ちょっと嘘すぎかも このノリで確実な分類できなそう

こんなんでも、入れるの楽だし見返すの楽だから、動かしやすくはあるんだけど… 結構な頻度で入れてる動画がダブるんですよね 複数のリストに入ってる動画がある 分類としてはうまくいってないかも まぁ、入れ忘れて見失うより100倍ましか

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「文章化」って、音声できいたときに「文、昇華」って脳内で変換していがちで、我ながら美しいな…と思ってる、意味が大きく変わらないのも好き

231101

最近見たもの(ハートキャッチプリキュア)の話

・「ハートキャッチプリキュア!」を見進めてる

ハートキャッチが13年前ってマジ!?懐かし  放送してたとき(2010年)も観てたけど、もうかなり忘れてるから初見の気持ちで観てる 馬越嘉彦さんのキャラデザが好きだ。線画の太さに強弱があって旨味がある 体の描き方がキュッキュッとしてて魅力的な見え方になってる 細い手足 丸い頭 正しいバランスの絵というよりかは見てて心地いいバランスの絵

ハートキャッチの本編見てると、たまに線の強弱がすごいカットが出てくる。しかも強弱ついたまま動きまくったりしてすごい 旨味 ↓変身シーンはこんな感じ

youtu.be

↑とくに0:40あたりの、髪が束になるところが線が太くて力強い

一方で、今年放送しているプリキュアの「ひろがるスカイ!プリキュア」は比較的線画の太さが統一された絵柄だな 最近のアニメはプリキュアに限らず、線の太さが均等寄りだと思う というか線が細い なんというか、ステントグラスみたいな美しさだな 正しい線があって、そこに色を埋めてる印象 安心感みたいのはあるかもしれないな

youtu.be

どっちも好きだし見ごたえがある 比べようがない

プリキュアって毎年テーマが設けられていて、「ハートキャッチプリキュア!」でのテーマは、「花」と「ファッション」。共通点があると思っていて、どっちも、「自己実現」に関係がある!んだと思う 「花」のつぼみが咲いて花が開くことと、「ファッション」で、服装から自分を変えていくみたいなこと、は似てる ハートキャッチは、自分を変えること、行動することについての逡巡を描いてる 「人物の変化」を1年間ずっと語っている すごい

アニメ内の流れは、毎話毎話、葛藤を抱えてる人、自分を変えたいって思ってる人が怪物(デザトリアン)に変えられてしまって、街を襲ってくる、それをプリキュアが浄化して解決 が流れ なんだけど、襲ってくるときに、怪物は、胸中の葛藤を叫びまくりながら襲ってくるんですよ 肉体乗っ取られてるから 例えば、「友達に嘘をついて見栄を張ってしまった 今更後に引けない」とか「本当はかわいいものがすきだけど、そういうタイプじゃないから我慢しなきゃ」とかを 恐ろしい

それに対して、プリキュアが、肯定してあげてながら、怪物を倒して、元の人間に戻してあげるんだ 「不安になるのは真剣だからだ」とか、「それは弱さじゃなくて強さだ」とかね、言ってくれる 嬉しい悩みを解決するのは当人自身にはなるけど、肯定してくれるプリキュアって存在がいてくれるのはありがたいことだな~~~~~って思う 心の根が腐ってしまってはなかなか元に戻れないから、そこで支えてくれるのは大きい

敵キャラは「砂漠」がモチーフになってる サソリ女とかクモ男、コブラ男がでてくる 地球の砂漠化を目的にしてて、そのために人の心を枯らそうとしてる 「花」をモチーフにしてるプリキュア陣営に対して、「砂漠」をモチーフに据えて「枯らそう」としてくるのって、全ての要素に意味があって最高 意味を作用しあっている 機能美ってこれのことかも

「砂漠の使徒」が地球を砂漠化しようとしてくるから、「プリキュア」は、地球と「こころの大樹」を守るために「デザトリアン」と戦う ありがたい話だ 個人的には36話が大好きです それ以降も最高 毎話泣いててそろそろどうにかしたい

 

・アニメ「京騒戯画」を観た

全然最近のとかじゃなくて2013年のアニメなんだけど。すごくよかった。でもストーリーがわからないからもう何周かしないとさすがに理解が追い付かない 

ストーリーわかんなくても感動するのってたまにあるな 多分、物語が解決する瞬間を見れるからかも 人間が人生で経験したカタルシスの再現 フワっと体の力が抜けて、積み重ねたものが慰めてくれる瞬間、が人生であるかもと思うんだけど、その瞬間の欠片があるのかも 現実世界で得られるべき感情を創作物で得ているのかもしれない... 自分の経験を思い出したりして、それが感動に繋がってるかも

なんか最近見てた作品、どれもすごくハッピーな世界観 強かなやさしさ “身近にあってこれから手が届きそうな幸せ”を得られて幸 素朴とはまた違う豊かさ

 

あと、一つ個人的な近況を話したくて、話変わるんだけど。 今、「音MAD制作未経験者を集めて1か月で音MADを作ってもらおう」って企画に混ざってしまっている 私は今月中に音MADを一個つくるらしい 何がおこるかわからないな人世 突飛な中に温かさがあってすごくハピ 今ハピです (謎な名義で参加してるけどいつか これだよ~って明かしたいですね)

一つ思い出話をすると、昔ほんとに心情が良くなかった時期、何もコンテンツ見れなくなってもsm16377202だけ見ることができて救われてたりしていた 懐かしい

人が作り出す面白い事象や出来事に救われまくっている 恵まれすぎ どうやって縁を返したらいいかわからない ともかく11月もゆるっと頑張る

231011

 

アニメと映画の秋 中道を行きたい編

 

「インプット」って言葉が好きじゃないから「見てるよ~」としか言えないんですが、最近コンテンツ見る機運になってる 見てる分何も出力できてない 嘆き 観たものの感想を公的に言うのってうまくやらないと良くないなと思ってて、言う度にごめんのきもちになってる 自己整理のために書く よしなにする ここは私的な場だから

 

秋アニメ3つ見ています

もともとこんなアニメ見る人間ではないし、放送を追うのも滅多にしないけど、なんか気になるアニメが重なってこうなってしまった。 (野暮だけど言うと、16bitセンセーション、ミリアニ、星屑テレパスを観てます!星屑テレパスは、ニコニコは1話のみ無料だけど、2話以降はTVerで1週間見逃し配信がある!!!!!無料!!!!!!)

かわいい女の子が頑張ってる作品が好きだ、「かわいい」に多くの意味を込めすぎてるんだけど、おおむね、頑張ってる女の子の作品が好きみたいなことです

 

こっちが本題なんだけど、映画もぼちぼち観るようにしてます

映画は自主的に観るぞ~って意思があって観ているかも 23分に制限されない、実写の人間の芝居を観ないとなぁ~って意識がある バランスを大事にしているからかもしれない アニメを見たら実写もみようかなって流れがあってそれを採用してる

 

映画を家で観るのが得意じゃなくて映画館か大学の視聴覚室で観ている

映画館は真っ暗で観れるから、館内に自分だけみたいな心地でのびのび見れて良い パーソナルスペースが広くなる気がする 人と見に行っても一人で居るような気分で観てる

それか、大学の図書館に視聴覚室があってそこで観てる。一人でみる用のブースが10個くらいあって、20インチのテレビとヘッドフォンで観る。まぁまぁ簡素……な見た目。 有ってくれてありがとうとは思っている

 

映画の感想いくぞ

君たちはどう生きるか

宮崎駿オールスターズ、なのはもう言われてることだけど、あまりにその感想が第一印象になるくらい「今ジブリ作品を見てるなぁ、ジブリ作品の中に入っていくんだなぁ」って感じがある。AIにジブリらしいルックつくらせたのかくらい濃いジブリぽさ。

ファンタジーぽい雰囲気なのに性格の悪さがにじみ出る感じが、こう、一筋縄ではいかないゆえの面白さみたいのに繋がってる感じがする。性格の悪さって、現実らしさとか厳しさみたいなものを言ってるんだけど、メタ認知する感覚と近い。嘘だとわかりながら夢をみる感じ。塔の中が別の世界だとわかりながら住み続けてしまう「ヒミ」とか、完全な世界は成し得ないと思いつつも作ろうとしてしまう「大伯父」とか。あまつさえそれを創作物(映画)の中でやってるせいで、「これを理想としてるけどうまくはいかない」の構図を完成品として見せられるわけで。作品内で完全な理想を見せられてるのではなく、かりそめの理想郷の裏側をみせられている感触がした。 良いとも悪いとも思ってない

最後のドアから出ていくシーン、命の重さが等価交換であるみたいな感じがして大好きだな。収まりがいい。過去と未来がイコールで結ばれてる。結局人生を変えるのはできないことの表われに見えて、ちょっと残酷なようでもあり、スタートに立ったな~感もある 美しい。何をやってもなるようになってしまうのは、諦めの表象かもしれないし、救いの表象かもしれない。少なくとも、眞人が現実世界に帰るのが前向きなものだったことは、かなり綺麗なラストだったなと思う。

関連しそうな本として、『失われたものたちの本』/ジョン・コナリー がある ストーリーラインが『君生き』と似てるとこがある、宮崎駿も帯でおススメしてた。めちゃめちゃ面白いのでおすすめです。 『君生き』はかなり話せるくらい観たので、話そう

 

「グリーンブック」

フォロワーが「グリーンマイル」をおススメしてたの思い出した後、勘違いして、「グリーンブック」観ちゃった ごめん 「グリーンマイル」も今度観ます

今日観た 情緒がめちゃめちゃになった

世界にこの作品があって、評価がメッチャされてて賞とかいっぱいもらってるらしいのすごい嬉しいな 後半、泣き所とか関係なく泣いて観てた 人種の問題を取り扱ってるのもそうだけど、実話っていうのがどこまで本当かとか、ジェンダーの問題とかが絡んでいるから感想が難しい けど観れて良かった~!が一番強い。物語として完成されまくっている

違うモノ(者)(物)同士が混ざり合って、中間地点で和みごちるの救いすぎる どっちか偏るとかじゃなくて、認め合うとかでもなく、両方が存在し続けるのが良い 中道を行くのがいいかも バランスがどっちつかず、というかどちらでもないとこにあってほしい 報われるのと報われないの2択だったら、どっちにもならないで寄り添っててほしいみたいな感じ 偏りを無くして見るのが、自分なりの見据え先として顕現されるんだろうし、そこで得たものが自分にとって正しいと思える指針になるんだろうなぁ

あとあれだ トニーが最後の手紙書いてるときに言ってたセリフが好き あのセリフがラストシーンのシャーリの行動のきっかけになっているんじゃないかなぁと推測してます 絶対

(個人的なアレだから読んだら忘れてほしいんだけど、以前コンサートホールでバイトしてたことがあって バイト帰りにレコードバー(ジャズバー)寄って、黒人音楽を聴くのをやってた時期があったので自分事で観てしまった クラシックとジャズも、どっちも好きだな もうちょっと続けとくべきだったか)

 

 

映画 直近で観たよかったもの二本の感想でした。

破壊(インプット)と創造(アウトプット)のサイクルをしたいな ミ゜~~~~~~~~~

 

余談なんですが、このはてブロのリンク、リア垢のbioにも、趣味垢のlinktreeにも載せてる はてブロの自分が、本名の自分ともネットの自分とも、どちらでもないような状態だからどっちにも載せちゃっている 読んだ人が、万が一このはてブロに言及するときがあったらプライバシーとか体裁とか...考えてもらうのかもしれない ごめん

流転する自己 自己の現在地

今年の夏も乗りきれましたか、各位

私は、なんとか耐えきったと思うけど、スリップダメージは入ったかも というか夏が終わっても人生は終わらないので、長期戦を覚悟しないといけないか

 

それはさておき

最近はというと、インターン行ったりやらバイト辞めたりやら祖父の病態やらでいろいろ考えることが多い時期だった。ここ1,2か月はなんか気持ちが忙しかったように思う。すごいスピードで流れる時間に縋る思いだった。その間、ずっと自己について考えていた。自分は将来何がやりたいのか~みたいなところから始まり、自分と他人の差異であったりアイデンティティのことを考えていた。やっと煮詰まってきたと思ったらアクが出てきたので、はてブロにまとめて、思考を形に起こすことで整理したい。

 

 

よく承認欲の話がツイッターではされるが。

承認欲とはまあ言ってしまえば自分が自分であることを認めてもらうことだから、自分が存在しているんだ!ということを実感できる瞬間があればいいのだ。それって、他人からじゃなくて自分で認めてしまうこともできるのではないか。自己の中で欲が完結できるのではと気づいた。 自分の大事にしている考えを拾ってあげて、金庫に入れて逃げないようにする。自分の価値観、美学を保護してあげて、自分を認めてあげるのだ。やり方が2つあると思っていて、一番やりやすい方法としては、自分が実際に好きだと感じているコンテンツを応援したり公言することだと思う。 例えばアイドルとかアニメとかを好きだったとして、その好きって気持ちを大事にしてあげる。 好きと思う対象は、自分自身の投影でもある。自分と対象との価値観が合致したから好きになる。また、自分の中に認めたい、自分に有ってほしい要素を含むコト、モノである可能性が高い。それを大事にすることは、自分自身を大切にしてやることと同義なのだ。内に秘めておいても外に出してもどちらでもいいけど、その好きって気持ちを、誰から何言われようと大事にしたい。

 

もう一つ、価値観を保護する方法がある。自分の価値観がなんなのかを愚直に探し出して、守るのだ。まず、自分の価値基準が何を由来に定められているのかを見出す。引き出しのノブは好きなコンテンツとかからでもいいし、普段の行動パターンからでいける。おそらく。

自分自身がどんな人間かを考えても、自分の姿はこれ!っていうのはなかなか見つけられない。その中で価値観を探すのってかなり難しい。私に限らず人間って、ありていに言うと調子がいいときと悪いときみたいなものがあって、気分の数値みたいなものが波打っているように思う。値が高いときも低いときも自分だからすべて認めてあげるべきだ。少なくとも自分自身の中では。どの姿も己だから、その波打ってる自分の平均をとってあげたい。どの自分であっても大事にしているような核となる基準があるはず。無意識に目にとまる人やモノがあるはずなのだ。それは空かもしれないし、食事かもしれないし、道行く人の特徴かもしれない。とにかくそこから、自分が真に求めてしまう事象を媒介して価値基準を洗い出さないといけないのだ。

 

ちなみに、私自身が一番愛している事象、ないしは自分の性質としてしっくりくるのは「静かな狂い」みたいなものだ。そういう状態が好きだ。 当人にとって安心感があり、整った土壌から、「怒り」と錯覚するほどの強い力をもった発展をする瞬間が好き。 穏やかなゆるし、静止したような風景、諦めから生まれる秘かな情熱、分散、絶え間なく続くもの全般、時間、空間、とかが好き。 物質的な「状態」は、ある種ネガティブともいえる程に波風がなく平行線である。その裏でゆっくりと、周りを覆い潰すようなポジティブな昇華が「事実」として行われていくのが好きだ。

 

ツイッターでたまに概念とか空(そら)になりたいって呟いてるんだけどそれも同根の話。実態は音もなく静かでただそこに居るだけなのだが、一定のリズムで徐々に姿を変える。同じことー空という事象の変貌―を毎日繰り返すことに魅力を感じる。一つの個の中に様々な顔を見せるのが良い。自分や他者に求める人物像が空と似ているので空になりたいと本当に思ってる。個の中で変化を繰り返すものが本当に好きだ。陽が上って沈むこととか、生物の睡眠のリズムとか、人間の気持ちの強度とか。別にそれは一定でなくても構わない。変容する様が見たい。姿形、パッケージはそのままに、内部の値が変動し続けるのが一番美しいから。

こういった概念を包括する(と思っている)「波」というモチーフはかなり好きだ。

 

回りくどくなったが、波打つ自分自身の思考の中心に「自分なりの価値基準」を据えて、人生を流転させていくのが一番自分を守れる。おそらく私は、好きな価値であるところの「静かな狂い」みたいなものを自分の中心に据えて生きてくのだと思う。

ビジュアル的に言うと、自分の中にスクラップブックを作ることや音MADを作るようなことだ。変わりゆく自分自身をとらえて写真みたく映し出す。それらををバランスよく並べることが必要だし、いわゆるアイデンティティの形成、といえる。 自分が好きなものたちをキレイにバランスよく並べること。思考の優先順位に沿って整列させる。見ていて心地いいように、視線が安定するように、かつ当人の意思が反映されるように形づくる。

自身の中にあふれまくった思考を整理して、値が変動し続ける中で任意の自分の瞬間をとらえる。数ある自分をつなぎまくって一つにする。作品にする。そうして初めて作品として、「これは自分だな」と(目には見えないが)観測できるようになる。そこから、作品としての文脈―自身が大事としている価値基準―を考察していき、自分の中で反芻して、大事にしていく。また、ここにうつしだされた、概念の集合体のことを、俗に言う「個性」と呼ぶことも可能であろう。

もちろん、いろんな自分がある中で、それらのなかから解釈にいれたい自分のみを選ぶことだって可能だ。見られたい自分、そうであってほしい自分とか。選択した断片的な自分を、自分として表現することもアリだと思う。「自己表現」って言葉はそういうことだろうし、自分のすべてを他人に見せる必要はない。それこそ、「大事にする」ということが、他人に見せたくない、という意味になることだってあるだろうし。

こうでありたい!と思う自分を捕まえて、うまく並べて、具現化する。それを、自分の中で大事にできればいいんじゃないかなぁ。

人は、いろんな状態の自分や、他者から影響された自分とか、たくさんの要素の集合でできている。純粋な自分一人から生まれる自分というものは存在しない。けれども、その人たらしめるモノがある。この人はこういう人だなと思わせる何かがある。 おそらく、人は生きているだけで表象を伴っており、作品を作った製作者としての責任がある。生きているだけで自分自身は作品だし、そこからアイデンティティは生まれる。 自身の言動からにじみ出て勝手にできていくもので、そこに任意で手を加えてあげればいいんだと思う。 

時間をかけて見つけた自己、価値観を、ちょっとでも大事にして優先してやれたら、いつもより自分に優しくなれると思うし、そうして、柔らかく強く生きたい。

創作における感動の由来

アニメとか映画をみてしょっちゅう泣いてるわけなんだけども。

 

感動の原因ってどこにあるんだろうか。画(絵)の力なのか、セリフなのか、物語の流れなのか。いろいろ考えられる要因はあって多分どれも欠けてはいけないんだろうけど、感動させる要因として必要条件ではないように思えていた。

 

今まで見た作品をいろいろ思い出して気づいたことがあって。おそらく、作品の中に、人間から発露された感情がこもってることが嬉しいんだなってことに気付いた。

 

最近見た映画で「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」っていうのがあって、その作品のときに特に思ったことがあって。あの映画に出てくるような、日常の一瞬でも考えたことあるような気持ちあるあるをすくってくれたのが本当に嬉しかったんだよな。

 

エブエブが云ってることってつまり「もし私が私じゃなくてもあなたは私を愛してくれるのか」っていうことが大体のテーマで、そこに恋愛や家族愛、隣人愛が絡む、でっかいラヴの話なんだけど。あの映画を作った人がそういう、身近なところにある愛をテーマにしようって大きい志を持ってることが嬉しかったし、後にアカデミー賞受賞してたりして、あの映画を評価してる人が大勢いるってことが本当に嬉しかった。

自分が世界に一人じゃないことを実感させてくれるというか、自分が思うことが他の人も思うことだったのが嬉しかったんだと思う。自分の感情が他の人のものでもあったから、理解できる、共有できるというのが嬉しい。

 

人間が作品を作る意義はここにあると思っていて。

他の人間のことを完全に理解することはできなくても、同じ人間同士考えることが一瞬でも似通う瞬間があり、それをどうにか確かめ合っていくのが面白いんだと思う。

 

創作物に求められているのは、感情の再現ではないかと思う。

人が創作物に触れに行くときって、人為的な感情の操作を求めているはずだ。感動させるためには、人間が感じられる感情を目に見える形で見せる必要がある。

例えば、アクション映画やなんかを見に行くときって「ワクワクしたい」って気持ちを満たすために見に行くわけであって。ワクワクする映画や本をわざわざ見て、たしかにワクワクするものを与えられる。ワクワクした~って満足して帰っていく。

求められている感情―ワクワクしたい感情―を引き起こすようなモノを提供することが必要ってわけだ。

また、悲しい映画や、いわゆる感動する映画を見に行くときって、「気持ちをわかってほしい」と思って見に行くのではないかと思う。自分自身が抱える悲しい気持ちを誰かに分かってほしい、共感してほしいと思って触れに行くのではないか。

それか、「人生が退屈で感動したい」ときにみるかもしれない。「強く感情が動くような出来事が自分の中に欲しい」とき。映画で起きる状況や人物像と、自分との間にあるわずかな接点をきっかけに、映画の出来事を自分事のようにして観る。そのうち、作品内で大きく感情を揺さぶる事件が起きて、大きく感動することができる。いい意味でも悪い意味でも感動できるから気持ちが満たされる体験になる。そういうことが感動する映画のまわりで起きているんだろうな。多分。

 

ちょうど、「再現」って単語に「もともとあるものをもう一度呼び起こす」って意味と「演劇や映像にしてあらわす」って意味の二つがあるように、どっちも必要で、大事なことなんじゃないかなって思う。似たクラスの話をしてると思う。

 

感情を再現することで、感動させられる。その再現ってやつをするために、人間が持つ些細な感情への理解や共有が行われることが必要…。って構造になっている。

みる者が創作物の中で同じ感情を共有できて、客が得たい感情を得られるのが創作物なのだ。

 

 

あ~他者の感情や感覚を理解することで得られる、分かり合えた時のやわらかい気持ちを感じたい。それが満たされたときにこそ感動できるのだと思う。

それが起きるのは映画かもしれないし、音楽かもしれないし、本かもしれない。どこかはわからないが感情を分かり合う瞬間のために創作物って存在するし、存在していてほしい。

 

おまけ

 

池袋にあるソープ(風俗)の看板

看板にAI生成イラストが使われている。AI生成絵って、もともとの人間が描いた絵にある、「見る人を惹きつけるためのノウハウ」がちゃんと活用されているから、ちゃんと目にとまる絵がつくれて便利だな~。看板に利用することで効果を発揮してて偉い。至極理にかなった使い道だと思いますよ。

HPみにいったら、女の子の紹介ページもAI生成画像だった、まあ、HPのかわいさなんて本物かどうかは重要じゃないもんな...。大事なのは店行って対面してからだもんな。会ってからが主戦場か、あの(風俗の)人たち。うんうん。

これで客が集まるなら全然問題ないわけだし。本物の人間の写真が一切出てこない売りこみ方で集まってくる客はきっと、本物の可愛さを求めてはこない。低コストで済むので、これでいいならこれに越したことないよな。

(最近看板をみるのが楽しい。面白看板あったら見せてください。)