死と自分の距離

大きな買い物をすること。友達と遊ぶ約束をすること。ご飯を食べること。寝ること。今だけじゃない、明日からの未来も生きている前提で、生きていくために必要な行動。

ふと(もしも今この瞬間この世からいなくなったら、この行動する必要ってないんだなぁ)と思う。自分の時間が現在で止まってしまえば未来のための行動をしなくていいし、いろんなことを考える必要がなくなる。

自分の中で「死」は、経験したことがないからはっきりしない概念だけど、いつも自分の考えの中に存在し続けてる。距離が近い概念だ。実際、妄想の中で自分は何度も死んでる。希死念慮とかではなく、単純に「もしも」の話として自分で自分を手に掛ける。階段とか、夜道、電車、エレベーター、部屋の中。いろんなところで自分が死ぬ妄想をしている、意味はないのに。

死ぬことで嫌なことから逃げたい思いと、死ぬのは怖いなって思いの二つがずっとせめぎあってる。いつになったら終わるんだろう、いつ、死のことを考えなくて済むのだろう。死ぬことで現世から逃げようとするのもやめたいし、死ぬことに恐怖することもやめたい。けど全く終わらない、ずっと、死ぬことが行動の選択肢の一つとして存在し続けている一方で、死んで肉体も魂も無くなるのが怖いのが続く。

生きてるのが辛いからって死に逃げるのは健康的ではないんだよな、わかってるんだけどな。でも、何も起きなくたって、ここにいるだけで嫌なことだってあるし、生が存在してるだけで嫌なときがある。

年々、生きている中で起きるイベントの大半が辛く思える。世界が自分のような人間のためには存在してないな、と感じてから全て難しく見えてしまった。もっとまともな人間にしか世界は生きていけないのかもしれない。疲れる。死のことを今より考えなくて済むようになりたい。