230121

「恐怖」の原体験

小2の夏休みのとき。夏休みの間の数日だけ小学校のプールが開放されて、決められた時間の中なら自由に遊びに行って泳げるようになっていた。

おそらく、夏休み中に学校から意識が離れすぎないようにとか、たまには運動をしようとか、そういう目論見のもとで行われたのだと思う。小学生の夏休みはみんな暇をもてあましているのか、それなりの人数が集まる。私も例に漏れず、行かない理由もなかったので水泳道具一式だけ持って学校に行った。

学校に着くと、お互い数週間ぶりに合うとかでちょっと盛り上がっていたと思う。ひとしきり話すと、みんなさっさと水着に着替えて、プールに入っていった。

 

プールサイドではPTAの人が見守っていて、私たちは好きに泳いでいた。

端から端まで泳いでいてもいいし、水に入っておしゃべりしてるだけとかでも全然いい、本当に制限のない時間だった。確か2時間くらい設けられていたと思う。

ただ、自由な時間が2時間あると長く感じられるもので、いくら泳いでも全く時計が進まなくて、早くも泳ぐのに飽きてしまった。

 

時間をつぶすために、水泳の授業の演習でやった、水に沈む遊びを何度もしていた。多分水に慣れる演習の遊びだったと思う。まず体を丸めて水の中に潜り、息を吐き肺の中の空気を出す、そうすると体内の空気が無くなって浮けなくなり、体が沈んでいく。目の前に一面真っ青の床が見え、ちらほらと人の足も見えた。身体が沈んでいき、プールの床と近くなり、目の前は床だけになった。呼吸の限界がきて水面に顔を出し息をする。何度か繰り返して、時計を見た。時計の針は全く進んでいなかった。おかしい、自分はこんなに頭使って時間をつぶそうとしているのに時間が進んでいないらしかった。

もしかして時間が止まってしまったのかもしれないと考えた。だが、みんなは泳ぎ回っているし、プールの水面はゆらゆら揺れているし、人の話し声もする。自分以外のみんなが動き回っていて、自分だけが立ち尽くしていた。

周りに確かに人がいるが自分とは時間の流れが違う場所にいるのではないか。自分だけが止まった時間の中にいて、どっかからか切り取られてたまたまプールに配置されたような、別のチャンネルに置かれたように感じた。

 

このまま時間が進まなくなるとプールから出られない。永遠をここで過ごさないといけないのかもしれない。そんな。ずっとプールの中にいるわけにはいかない、自分にはプール以外の居場所があるし、プールの中では泳ぐことしかできない。このままでは、一生プールの囲いから出られないどころか、プールの水の中に閉じ込められるのではないか。まるで水槽に閉じ込められている魚になったみたいな苦しさが迫ってきた。さっきまで水に沈んで遊んでいたときの呼吸の苦しさが思い出された。水の中にいると苦しくなる。ここにはいられない、こわい。気持ちが苦しくなって、逃げようと思った。プールの水が身体にまとわりついていることがだめなんだ、そう思い、いそいでプールサイドにあがった。

見守りのしているPTAの人に声を掛け、「家に帰りたい」と言った。突拍子もないのはわかっていたが、自分が小2で、大人から見れば幼稚に見えるだろうという認識の上、その幼稚性をフルに使った行動に出ることにした。ホームシックにでもなって家に帰りたくなった幼い子の振りでもすれば帰してもらえるだろうと思った。複数人の大人から「体調が悪いのか」とかたくさん聞かれた。違う、プールにいられなくなったのだ、でもどう説明したらいいのか小2の頭ではわからなかった。ただとにかくプールにいることがとてつもなく恐怖だった。水の中はおろかプールサイドにいることも苦痛だった。PTAというドアを開けないと外に出られず閉じ込められているような気がして、とても苦しかった。プールという空間、時間に閉じ込められて、存在が確かでなくなっていく気がした。

 

その後もPTAの人とうだつの上がらない問答を続けていた。やがて、PTAの大人たちから見て私は「この子は寂しくなっちゃったのかな」みたいな認識に落ち着いたらしく、学校の電話でお母さんに電話することになった。自分はそんなこと望んでないし、せっかくプールから上がったのだから早く家に帰してほしかったが、周りが電話していいよって受話器を渡してきたので、よくわからずに家にいるお母さんと話し始めた。自分でも何を言ったか覚えてないし、お母さんの方も全く内容がつかめていないようだった。私が状況を分かってなくてPTAの人もわかってないのだから、第三者のお母さんに伝わるはずがない。

そんなこんなで、誰もろくに状況を理解できないまま時間が経ち、プールの自由時間が終わるころになった。PTAの人から「そろそろみんなも上がってくるから、みんなと帰りな」と言われ、そこで「あぁ、時間は止まってなかったんだな」と確認できた気がした。

 

プールが恐怖に感じられたのはこの日だけで、その後は問題なく泳げたし、何事もなく水泳の時間を過ごしていた。なぜか再現性がなくて、プールであの時のような恐怖を感じたことは二度と無かった。

ただこの経験のせいで「恐怖」のイメージといえば「プール」で固定されてしまった。「死」や「別れ」といった普遍的な「恐怖」と、「プール」の息苦しさがリンクして、目次みたいな役割になってる。「恐怖」を感じてるときは、息が苦しいし、状況が飲み込めないし、周りから理解されない気がする。でも、これは私の「恐怖」だから、きっと人それぞれの感じ方があるんだろうな。

みんなは何が怖いんだろうな、そう思いながらツイッターで「こわい」でパブサして遊んだりする。

 

P.S. このあと数年くらい、PTAの人に会うたび「プールで寂しくなっちゃった子だよね」といわれるようになり、「そうじゃないんだよなぁ」って気持ちと、「人前でそういう子どもを馬鹿にするようなこと言うのってどうなの」って気持ちにされる。一回休み。