創作における感動の由来

アニメとか映画をみてしょっちゅう泣いてるわけなんだけども。

 

感動の原因ってどこにあるんだろうか。画(絵)の力なのか、セリフなのか、物語の流れなのか。いろいろ考えられる要因はあって多分どれも欠けてはいけないんだろうけど、感動させる要因として必要条件ではないように思えていた。

 

今まで見た作品をいろいろ思い出して気づいたことがあって。おそらく、作品の中に、人間から発露された感情がこもってることが嬉しいんだなってことに気付いた。

 

最近見た映画で「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」っていうのがあって、その作品のときに特に思ったことがあって。あの映画に出てくるような、日常の一瞬でも考えたことあるような気持ちあるあるをすくってくれたのが本当に嬉しかったんだよな。

 

エブエブが云ってることってつまり「もし私が私じゃなくてもあなたは私を愛してくれるのか」っていうことが大体のテーマで、そこに恋愛や家族愛、隣人愛が絡む、でっかいラヴの話なんだけど。あの映画を作った人がそういう、身近なところにある愛をテーマにしようって大きい志を持ってることが嬉しかったし、後にアカデミー賞受賞してたりして、あの映画を評価してる人が大勢いるってことが本当に嬉しかった。

自分が世界に一人じゃないことを実感させてくれるというか、自分が思うことが他の人も思うことだったのが嬉しかったんだと思う。自分の感情が他の人のものでもあったから、理解できる、共有できるというのが嬉しい。

 

人間が作品を作る意義はここにあると思っていて。

他の人間のことを完全に理解することはできなくても、同じ人間同士考えることが一瞬でも似通う瞬間があり、それをどうにか確かめ合っていくのが面白いんだと思う。

 

創作物に求められているのは、感情の再現ではないかと思う。

人が創作物に触れに行くときって、人為的な感情の操作を求めているはずだ。感動させるためには、人間が感じられる感情を目に見える形で見せる必要がある。

例えば、アクション映画やなんかを見に行くときって「ワクワクしたい」って気持ちを満たすために見に行くわけであって。ワクワクする映画や本をわざわざ見て、たしかにワクワクするものを与えられる。ワクワクした~って満足して帰っていく。

求められている感情―ワクワクしたい感情―を引き起こすようなモノを提供することが必要ってわけだ。

また、悲しい映画や、いわゆる感動する映画を見に行くときって、「気持ちをわかってほしい」と思って見に行くのではないかと思う。自分自身が抱える悲しい気持ちを誰かに分かってほしい、共感してほしいと思って触れに行くのではないか。

それか、「人生が退屈で感動したい」ときにみるかもしれない。「強く感情が動くような出来事が自分の中に欲しい」とき。映画で起きる状況や人物像と、自分との間にあるわずかな接点をきっかけに、映画の出来事を自分事のようにして観る。そのうち、作品内で大きく感情を揺さぶる事件が起きて、大きく感動することができる。いい意味でも悪い意味でも感動できるから気持ちが満たされる体験になる。そういうことが感動する映画のまわりで起きているんだろうな。多分。

 

ちょうど、「再現」って単語に「もともとあるものをもう一度呼び起こす」って意味と「演劇や映像にしてあらわす」って意味の二つがあるように、どっちも必要で、大事なことなんじゃないかなって思う。似たクラスの話をしてると思う。

 

感情を再現することで、感動させられる。その再現ってやつをするために、人間が持つ些細な感情への理解や共有が行われることが必要…。って構造になっている。

みる者が創作物の中で同じ感情を共有できて、客が得たい感情を得られるのが創作物なのだ。

 

 

あ~他者の感情や感覚を理解することで得られる、分かり合えた時のやわらかい気持ちを感じたい。それが満たされたときにこそ感動できるのだと思う。

それが起きるのは映画かもしれないし、音楽かもしれないし、本かもしれない。どこかはわからないが感情を分かり合う瞬間のために創作物って存在するし、存在していてほしい。

 

おまけ

 

池袋にあるソープ(風俗)の看板

看板にAI生成イラストが使われている。AI生成絵って、もともとの人間が描いた絵にある、「見る人を惹きつけるためのノウハウ」がちゃんと活用されているから、ちゃんと目にとまる絵がつくれて便利だな~。看板に利用することで効果を発揮してて偉い。至極理にかなった使い道だと思いますよ。

HPみにいったら、女の子の紹介ページもAI生成画像だった、まあ、HPのかわいさなんて本物かどうかは重要じゃないもんな...。大事なのは店行って対面してからだもんな。会ってからが主戦場か、あの(風俗の)人たち。うんうん。

これで客が集まるなら全然問題ないわけだし。本物の人間の写真が一切出てこない売りこみ方で集まってくる客はきっと、本物の可愛さを求めてはこない。低コストで済むので、これでいいならこれに越したことないよな。

(最近看板をみるのが楽しい。面白看板あったら見せてください。)